入札   11月17日

{ By k.kashii , In , 7:26 }

不動産売買でこのところ入札物件が増加していることは、
いろんな所で漏らしてきたこと。
裁判所による入札、役所の公売、弁護士・管財人による入札などなど。
弁護士による入札や民間組織による入札には、落選した入札者にとって、
どうもうさんくさいものを感じてしまうのも人情である。
まあ、根気の要る仕事ではある。
ともかく、今後の不動産取引・ビジネスにとって、入札形式・オークション形式は
ある程度のシェアーを占めることと思われる。
したがって、買手の顧客には、入札・オークションについて食わず嫌いになったり、
アレルギー症状を起こさないように助言することが肝要。

いわし雲  11月10日

{ By k.kashii , In , 11:34 }

「いわし雲 乳房大いに浮遊する」
この句が、坪内稔典先生の10月27日の「一句鑑賞」に取り上げられた。
この句、20年ほど前に作った句。
大いに精力豊かな年齢の時の作。

中国について   11月3日

{ By k.kashii , In , 8:40 }

私は日中友好協会の会員であり、大阪府日中の理事でもあるのだが、
どうも、わが日中友好協会の姿勢は、いまの中国政府に太鼓もち的であり、おもねる方針であるようだ。
いまの中国政府や要人達・幹部達のやることに賛同し、迎合しはするが、批判は絶対禁物という雰囲気を感じざるを得ない。
ここのところに私は疑問を感じる。

日中友好に勤しむこの国の方々が、かっての清朝を打倒し、社会主義国家を建設した方々を研究し、支援するのならば、
いまは、今日の形骸化し特権化した中国政府内の人々を批判して、
民主化、人権化運動を始めている人々を支援し、研究し、援助活動すべきではないだろうか?
このような意見は過激であろうか?

賃料交渉人   10月27日

{ By k.kashii , In , 8:29 }

不動産の新しいビジネスモデルである。
テナント賃料のダウン交渉の請負商売である。
テナント(借主)の立場に立って、家主側と交渉し、賃料を下げさせることを目的とする。
いまのデフレの時代に、高い賃料のままで継続しているテナントも多いはず。
自ら賃料を家主と交渉することに躊躇しているところも多いはず。
そこで、このビジネスが生まれる。
家主にとっても、突然にテナント退去することになるよりは、テナントの不満を事前に察知し、
その対策を取る、という点で、決してこのビジネスは家主にとって不利なことではないはず。

白百合    10月13日

{ By k.kashii , In , 7:48 }

「松尾寺 みんな紅葉になりました」
「白百合は あんなにもあっけからんと」
「おしべが匂う白百合のめしべは濡れて」

紅葉の季節になりました。
すてきに老いてゆきましょう。その手本になるのは、
深まり行く秋に 変化する木々の紅葉かも。

祭り思考   10月13日

{ By k.kashii , In , 7:50 }

泉州各地のたんじり祭りは、今年も盛り上がって終わった。

だんじりに限らず、そもそも祭りという祭りすべてに、それに参加する人々は
なんであんなに夢中になることができるのだろうか?
その答えは、人間とはみんなとひとつになることになにものにも替えがたい
喜びと生きる意義とを感じるからであろう。

もとより、祭りとは古代からそのような意義付けで始まった。
だから、その祭りを采配する者は、人間集団(国や村)の長になりえた。おそらくは、
わが国の天皇は、その古代に長であった者が、永続しているものと思われる。

人間は、たったひとりで生きるものでなく、みんなの中で生きるものであり、
みんなとひとつになることに最大限の意味を見出すものである。


暗闇    10月6日

{ By k.kashii , In , 8:01 }

「光は露に届くとも 僕の心は」
「辞書点検し 耳旋廻す 秋の蚊よ」
「暗闇のひんやりとしてふっくらと」
「敗れ果て絶望のまま 赤のまま」

ペットボトルの俳句  9月29日

{ By k.kashii , In , 7:25 }

「ペットボトルのペコッと鳴って 身にしみて」
「秋夕焼けよりもゆたかに 顎のひげ」
「暗闇は冷ややかにして あばら骨」
「さわやかに雲にまたがる禿頭」

ここ十年であっという間に日本中を席巻したのは、数々の種類のペットボトル。
それを俳句にしてみました。
その句の後に続く3句は、実は、あの三賢人、三聖人を歌った句。

ソクラテスについて  9月22日

{ By k.kashii , In , 7:30 }

ソクラテスと孔子の共通点は、ともに貧乏な暮らしぶりだったこと、ともに立派な役職に就いたりしなかったこと、ともに、多くの若者に慕われたこと、ともに、よく生きることについての考察を深めたことなどである。
一方、二人の違いは、孔子はほとんど神性なことを排除したが、ソクラテスはそれを徹底して排除・無視できなかったこと。彼はその弁明の中で、自分の行動や思考が神託のお告げを出発点としていることを披露している。ここに、西洋文明・西洋人の限界を見る。東洋人は、孔子も仏陀もみな、神性な価値観を拭い去ったところに、新たな価値観を創造したから。

鷲田清一   9月15日

{ By k.kashii , In , 7:46 }

このところ鷲田清一の書物を何冊か読んでいる。
「じぶん」という人間の原点を大切にして哲学している姿勢。
これまでのわが国の哲学書に見られるような「難解な漢字熟語」を駆使した文面でなく、
普通の日本人が日常語として使っている言葉で、哲学している姿勢。
さらに、今日的出来事・現象の中でも、これまでの哲学者が見てみないふりをしてきたもの、
思考の対象としてこなかったもの、つまり、ファッションに纏わることがらや性的なことがら、
取るに足りない日常生活に纏わることがらを哲学している姿勢。
これらの姿勢が気に入った。
そして、「じぶん」と「他者」とのかかわり方を探求することで、現代社会を救おうとする姿勢に
いたく感動している。