嵐山    4月6日

{ By k.kashii , 8:44 }

「嵐山 いざ風まみれ花まみれ」
「花の雨 あの世に行ってきたんだね」
「花筏 男と女はいつもそう」

京都嵐山温泉にて停泊。少々風邪気味の体を温泉療養した。
その合間に『天龍寺』にてみごとな枝垂桜を眺める。

新年   1月1日

{ By k.kashii , 16:11 }

「雪消える 川面に土手の岩肌に」
「初雲や  桐方橋で動かざる」
「竹に雪 あの鼻柱へし折って」

また、今日から新しい年の始まり。
新しい気分で謙虚に、明るくすごしたい。

冬の月  12月5日

{ By k.kashii , 15:22 }

「寒月を喰うさそり雲 身をそらす」
「有明の月 冬空をすり抜ける」
「遠来の友 ひとときの冬の虹」

一段と寒くなる季節がやってきた。
夜道に向こうの空を見やれば、冬ざれの暗雲たる空に
月を雲との戦いが始まっている。
月を飲み込んだその雲は、まるでさそりのような姿をなって、
その身を怒らせる。

そして、翌朝、打って変わって空は青空。
そこに朝まで残っていた月が、しゃれこうべのように澄んで浮かんでいる。
冬の空という美しい青色の薄いカーテンをすり抜けるようだ。

紅葉    11月14日

{ By k.kashii , 16:42 }

「晩年や燃えて燃やしてもみじして」
「一枚の枯葉降り立つ石の上」
「反り返るテイッシュ月喰うさそり雲」

恐るべき秋の季節となった。冬はなにかの始まりなら、
その始まりを成し遂げるために、秋は退廃と破壊と陶酔とデカンダンスの季節。
そう、ランボーの「地獄の季節」だ。

生と死と   10月17日

{ By k.kashii , 10:25 }

「生きること悩みっ放しで柘榴の実」
「秋の雨降り止みしとき雨の声」
「傷ついた象の姿に秋の岩」
「萩こぼれ赤ちゃんパンチパンチして」

辞世句とはなんだろう?芭蕉はそれを聞かれて、自分のすべての句が
辞世句だと答えたそうな。
死を直前に控えて、名句が出来そうにも思えない。おそらくは、
この国の江戸時代を中心に武士の切腹があったころ、
自決を直前にして、遺言としての辞世の感慨をまとめたものが、
辞世の短歌としてしばしば作られた。こうしたことから、辞世の句なるものが
もてはやされたのだろう。
さて、私はといえば、芭蕉同様に自作のすべてが辞世の句である、と思いたい。
それほどの覚悟と念入りを込めて、一句一句を作りたい。

玉葱   10月3日

{ By k.kashii , 9:40 }

「玉葱雲 たまねぎ色に夕焼ける」
「頭の中はすっからかんです いわし雲」
「線路の声が重々しくて秋の雲」

セザンヌの玉葱を見た。美しい、と思った。
秋の空に浮かぶ雲のいくつかが玉葱のように見えた。
やがて、日が傾き、夕焼けが迫ってきた。

大いなる   9月5日

{ By k.kashii , 16:35 }

「いわし雲 財布も家もすっからかん」
「座禅して闇深くなる 虫しぐれ」
「ソーリャソーリャ走れだんじり いわし雲
「この道を歩き続けて虫の声」

なにも語らない、なにも考えない。
大いなる人生に手助け無用。

アランフェス協奏曲   8月1日

{ By k.kashii , 7:14 }

「アランフェス ふるえる弦に沁みる風」
「ひまわりの起立礼して 卒寿して」
「涼しくば 欅椎の木さくらの木」

新進気鋭のメゾソプラノ歌手のリサイタルに行った。彼女の歌声を聞くのは、
これで2回目。いつ聞いても、その澄んだ声とその声量に圧倒される。
アランフェス協奏曲から、「わが想い」を歌った。繊細なギターの響きと
彼女の伸びやかでもの悲しい声が、風が吹くのを感じさせる。眼前に、
スペインのアランフェスの館があるような気がした。

赤ちゃん   7月26日

{ By k.kashii , 7:57 }

けんかしてトマトすっぱく空に雲」
「あほになれあほうになって浮いて来い」
「赤ちゃんバッタ房総半島ジャンプする

孫が生まれた。元気な男の子である。
生まれたばかりの蛙かバッタのように見えた。

夕焼け   7月7日

{ By k.kashii , 15:48 }

「夕焼けの紅 君の部屋いっぱい」

「朝顔が真っ赤なうそをつく夕べ」

「梅雨激し 後はしっとり四畳半」

7月7日は七夕と決まっているが、七夕にちなんだ句は作らなかった。
夕焼けの色彩の伸びやかさに心打たれて、一句作った。